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大衆演劇のお芝居ってどんなの?(独断・私見の)大衆演劇観劇ガイド

『佐久の鯉太郎』伍代孝雄劇団@新開地劇場 10月26日

第一部には遅刻。お芝居からの観劇。

2週間前に観た折に、座長のお芝居と踊り(立ち、女形とも)が際立って光っていたのに驚嘆したが、それ以降訪ねる機会を逸していた。だからこれが2回目の観劇で、今更ながらに座長の並外れた技巧と美を認識させられた。また、伍代一也さん、、瑞穂さん兄弟も座長をしっかりと支えていた。でもなんといっても三河家諒さんの助演が光っていた。彼女が登場するだけで、その場の雰囲気ががらりと変わって華やぐ。それはお芝居のみならず、舞踊でもそうだった。彼女はその場をすべて持っていってしまうほどの「華」の持ち主なので、座長ファン、一也、瑞穂ファンがひしめいている客席も、「得心」し、惜しみなく拍手を送っているのだろう。

芝居の大筋は以下。

男修行のため旅をかけているやくざの二人――兄貴分(座長)の鯉太郎と弟分(瑞穂)の時次郎――が帰ってみると、島は新参の組に荒らされ、親分は病気になっていた。二人は新参組の親分を討ったら娘をやるといった親分の言葉を信じて、敵方の親分のもとに殴りこむ。討ったのは鯉太郎だったが、実は時次郎は旅に出る前から親分の娘と深い仲になっていた。手柄を譲ってくれと懇願する時次郎を鯉太郎は一旦振り切るが、思い直して、討った首を時次郎の手柄として親分に届ける。そして鳥追いの女(諒)と結ばれていると嘘をつく。親分はその嘘を分かった上で、娘と時次郎を一緒にさせる。嫌がる鯉太郎の手を引いて鳥追い女が退場するところで幕。 

座長と諒さんのやりとりがとても自然で、自己を貶めるギャグ連発で散々笑いをとっていた。こういうところ、「笑わしてなんぼ」の上方の伝統を踏まえているが、下品にならなないところが吉本などの上をゆくテクニックだと思う。もっと以前から観劇しておけばよかったと後悔しきりだ。芝居の軽妙さは津川竜さん、小泉たつみさん、都若丸さんといった関西の実力派劇団の「軽やかでいてシリアス」という離れ業に通じるものである。これら関西の劇団の笑いはかなりソフィストケイトされたもので、熟練の技のみならず、その土地の雰囲気をどっぷりとしみこませた感性が必要とされ、そう容易く真似できるものではない。私も根っからの上方人なので、こういう笑いには敏感に反応してしまう。頭でどれだけ抵抗しても。