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大衆演劇のお芝居ってどんなの?(独断・私見の)大衆演劇観劇ガイド

『長崎物語』劇団美山@池田呉服座4月14日昼の部 

並外れた練習量を窺わせる舞台だった。観客のほとんどが満足したに違いない。座長たかしさんの心意気、びんびんと伝わってきた。たかしさんが、どんな歌舞伎役者よりも大きく見えた。実際、若干28歳(?)で、劇団をここまでのレベルにするには、ホント人知れない苦労があったことだろう。それを持ち前の負けん気とパワーでねじ伏せ、苦境をバネとし、逆境を自らの力として蓄え、団員たちには「父」として徹底した指導を行い、ここまでの劇団に育て上げたのだ。ただただ、頭が下がる。ここまで楽しい舞台を魅せてくれる彼に、心からの感謝のことばを送りたい。 

たかしさんは口上の際、毎回必ず「楽しんでいただけましたでしょうか」と観客に訊く。そのことばにこそ、座長たかしのすべてがつまっている。独りよがりではない舞台、観客と創り上げる舞台、そこにこそ座長里美たかしが率いる劇団「美山」の真骨頂がある。最高のエンターテインメントを目指す心意気がある。

ここまでの観客へのサービス精神と、そしてそれを可能にするための血のにじむような稽古と、そしてなによりも時代をすくいとるセンスの良さ、加えて頭の良さ。こういうものが一つになって優れた舞台が可能になる。これらをすべて備えるのは、時間と予算に制限のある旅芝居(大衆演劇)ではほとんど不可能に近い。しかし、だからといってレベルを落とし、マンネリ化したものを乗せていると、観客は早晩飽きて離れてしまう。多くの旅芝居の劇団が今沈滞状態にあるのはそのためだろう。でも、ここにそれ(「最高のエンターテインメント」)を実現している劇団がある。生半可な妥協を排して、精一杯その力を発揮している舞台がある。

実際、旅芝居は「質」を要求しないものとして、あり続けて来た面もあるだろう。出し物が毎日変わるため受ける時間制約、安い入場料の所為の限られた予算、厳しい状況のもとでの座員不足。だからといって、それを言訳にすれば、客は敏感に感じ取って来なくなる。松竹の庇護のもとにある歌舞伎が決して遭遇することのない、厳しい状況が常態なのが旅芝居(大衆演劇)の世界なのだ。

今日の劇団美山の芝居『長崎物語』の詳細は以下である。

亡きお父様(江味三郎)の遺したお芝居だとのこと。座長が口上の際、「韓国ドラマのような芝居」と表現した通り、「重度」のメロドラマ。でも座長のそういうう客観的な眼があるので、どっぷりとした昼メロ(英語ではこういうの “soap opera”ってんです)にならずに済んでいた。

 

医者を志す早瀬伊織(たかし)。妻ぬい(みか)との間にうまれて間もない小夜がいる。長崎へ医学を勉強する機会が与えられるよう、日々精進に励んでいる。しかし、彼の留守中、ぬいは彼女の父(祐樹)に連れ去られる。彼女を見染めた金持ちの旦那が、彼女を欲しいを言ったためである。帰宅した伊織はぬいからの「愛想尽かし」の書き置き(実はぬいの父が用意しておいたもの)をみて、愕然とする。

 

彼の友人の一馬(喜代子)が子供を抱えて途方にくれている伊織を訪ねてくる。伊織の長崎行が決まったことを伝えにきたのだ。事情を聞いた一馬。伊織に強く長崎行きを勧める。自分が伊織の娘、ゆいを彼が帰るまで育てるというのだ。

 

5年が経過。場所は長崎。盲目になった一馬がゆいを伴っている。茶店の前でゆいが倒れてしまう。それを救ってくれたのが、通りがかりの金持ちの旦那である。彼の美しい連れこそ、あのぬいである。旦那はこころから彼女を愛している様子である。しかし、今のぬいはまるでお人形のように、喜怒哀楽を忘れた女になっている。

 

心優しい旦那は倒れていたゆいを自宅に連れて行き、腕の良い医者を呼びにやる。そこへ到着したのが伊織だった。伊織とぬいは互いに気づく。またぬいと伊織は一馬にも気づく。

 

ゆいはすでに手遅れで亡くなる。遺体に取り縋ってなく一馬。自分が代わりたかったという。一馬とぬいが奥に引っ込んだあと、ゆいの遺体に取りすがって泣く伊織。死なせてしまったのは自分の所為だという。そこへ伊織の嘆きを聴きつけ、一馬が出てくる。謝罪する一馬。伊織は彼の所為ではなく、すべては妻のぬいの所為だと言う。

 

ぬいが出てきて、ゆいの遺体に取りすがって泣く。怒りをぶつける伊織。ぬいの後から出てきた旦那が、あらためて、伊織に詫びをする。そしてぬいを離縁して、伊織の許に戻すという。しかし、ぬいは自らの胸元に小刀を突きつけて、息絶える。そこへ死んだはずのゆいの声が聞こえてくる。彼女は父、母、一馬にこころからの礼を言っているようである。それを聞きながら呆然と佇む伊織、一馬、旦那。

 舞踊ショー詳細は以下。

第1部   舞踊ショー

ここでの圧巻はなんといってもラストの座長とえくぼさんの「玄治店」。いろんな劇団で「玄治店」舞踊はみたけれど、ここが一番。なによりもきちんとした「手」が美しい。稽古の量がしのばれる。歌舞伎で、さほど美しいとはいえない(年寄りの)役者がお富を演じるのには抵抗があった人も、えくぼさんのお富をみれば、与三がなぜあれほどのミレンたらたらの台詞をいうのかが腑に落ちるに違いない。この与三の台詞をいう座長、実にカッコ良かった!昔日の仁左衛門丈と良い勝負だった。ホント私の中では。

第3部  舞踊ショー 

座長の女形は色っぽささではピカ一だった。舞踊途中での客席サービス、楽しかった。

こうたさんのお面踊り、「お祭りマンボ」は軽妙で上手いこと、おもわず、「上手い!」と呟いてしまった。それになんとも品のよい色気。

京馬さんの「優しい光」での衣装、ピンクピンクで可愛かった。色っぽいというより、カワイイ!

みかさん、えくぼさんを初めとする女優陣の舞踊、ただただ感嘆!こんなステキな女優さんを擁する劇団は他にない。なによりも全員美人!