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大衆演劇のお芝居ってどんなの?(独断・私見の)大衆演劇観劇ガイド

『花の神田屋一家』浪花劇団@高槻千鳥劇場2015年6月1日初日

お芝居は『花の神田屋一家』。これ朝日劇場でもこの2月に観たもの。ただ、そのときと比べると花道あきらさんが他劇団に移られ(?)、あつしさんもおられなかったのが大きな変化。

悪い親分を大川龍子さん、座長が二役で一家の親分(芝居冒頭で殺されてしまう)とその弟の若親分役。蛇々丸さんが親分が殺されたあとの一家を守る代貸役。めだかさんが一家の三下。勘太郎、しめじ、成馬さんは悪い親分の子分役。人数が前回観た折よりも二人も減っていたのが致命的。だからこの記事のタイトルに外題名を入れなかった。でもさすがに浪花劇団、芝居のレベルはそこそこキープしていた。

今まであまりなじみのなかった浪花劇団、2月の朝日劇場公演を4回、そして4月の梅南座公演を2回観た。朝日劇場公演、大入り数は少なく、梅南座に至ってはそれまでに乗った劇団中最も大入りが少なかった。浪花のお芝居を高く評価していたので、これは本当にショックだった。理由を私なりに考えて、千秋楽の記事に問題とおもわれるところを書いた。舞踊ショーに原因があると思う。このまま行くと、高槻でも同様のことが起きる可能性があるのではと心配している。

座長の舞踊が問題。申し訳ないけど、華やかさにに欠ける。夢の世界を演出するのが大衆演劇の舞踊ショー。女形では目も醒めんばかりの美女に、立ちではため息が出るばかりのカッコいい男前に「変身」する(しなくてはならない)。だから化粧、衣裳、鬘は最重要。残念ながら新之介さんはこの三要素がちぐはぐ。研究が足らないのでは?素が美形である必要はないわけで、どれだけ「変身できるか」が勝負どころなのに。舞踊そのものもちはぐ感が否めず、そのため色気が醸し出せていない。女形、立ちともにそう。

あるいは、この「美男美女路線」を外すという方向もあるかもしれない。他の劇団も幕間的にそういう工夫をしているところがあった。コメディタッチ(コミック・リリーフ)を入れると、舞踊ショーに幅ができる。観客も大歓迎だろう。とくに大阪の観客はそういうのを好むだろうから。

もし美男美女路線に固執したいというのなら、それはそれとして百歩譲ろう。でも、座長の舞踊回数が4回(以上)というのは、多すぎる。前の記事にも書いたけど、親戚の(しかも新之介座長ご自身がそこで副座長をしていた)近江飛龍座長のところは座長の登場は3回以内である。他の座員はそれぞれ最低2回(立ち/女形)は踊る。それぞれの個性が発揮されていて、それがある種の化学変化を引き起こし、見応えがある。まさに夢の世界の現出に成功している。

座長の舞踊をミニショー分を合わせても3曲以内に抑え、その分蛇々丸さんの舞踊をもう1、2曲、めだかさんのものも1曲増やして欲しい。とくに蛇々丸さんは大衆演劇界ではもっとも上手い踊り手のひとりだと断言できるから。そう感じている人は多いと思う。まさに玄人の踊り。他の舞踊全部をまとめても彼の踊る一曲には敵わないと思った。だから最低2曲は観たい。本音を言えば、回数をいちばん多くして欲しいくらい。

さらには舞踊ショーの構成を根本から変える。あつしさんがおられないのが、損失。彼のみがポップス調の踊りが踊れる唯一の人だったのに。こんなにも座員が少なくなってしまったのだから、相舞踊、群舞ともにさらなる工夫をした方がいいだろう。一人一人の上手さより、組み合わせの妙での面白みを出すというように。相舞踊はほとんどなく、群舞も若手のみというのは、興趣に欠ける。座長、蛇々丸さん、めだかさんを組み込んでの相舞踊、群舞の工夫をすれば、バラエティにとんだ舞踊ショーになる。

だからこそ、若手をもっと上手く使って欲しい。それぞれ20代になってからこの世界に入った人たち。その意味で大衆演劇の経験が足らないというハンディはあるだろうけど、それを超える頭脳と知識、外の世界を知っているという強みがある。これは他劇団ではほとんどない。芸人には教育、教養が不要というのは、まったくの迷信(?)である。それらがないとこれからの世の中では生き残って行けないだろう。浪花はものすごい強みを持っていることになる。それを活かす工夫をして欲しい。舞踊ショーの構成、中身に彼らの主導権を認めて欲しい。

このまま行くと、この高槻のみならず、次につづく劇場公演に実績を残せないではないかと、危惧している。それが杞憂に終わればいいのだけれど。