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大衆演劇のお芝居ってどんなの?(独断・私見の)大衆演劇観劇ガイド

『母恋信州路』劇団花吹雪@新開地劇場 2010年11月5日

夜の部を観ました。

お芝居は『母恋信州路』、主演の百姓亥之松(字が間違っているかもしれません、以下同様)を真之輔さん、その弟の美代吉を子桜何とか君(初出場だそうです)、上総屋親分政五郎を春之丞座長、代貸銀二を梁太郎さん、子分佐太を愛之介さん、親分の妻の佳代を京さん、そして対立する上州屋親分を京之介座長でした。

困っているところを政五郎親分に助けられた百姓の亥之松は、代貸の銀二と佳代が手に手をとって逃げるとところを止めようとします。恩ある親分に恥をかかせるわけには行かないと考えたからです。銀二は亥之松を切ろうとして誤って佳代を切ってしまいます。修羅と化した銀二ともみ合ううち、亥之松は銀二から取り上げたドスで銀二を殺してしまいます。それを見ていた子分の佐太に、二人が駆け落ちをしようとしたことを親分に言わないと約束させ、亥之松は自分が佳代に懸想し、それを止めよとした銀二、佳代を切ったのだと親分の政五郎に申し出ます。怒った政五郎は亥之松の腕を切り落とします。ところが、佐太の口から真相を聞いた政五郎は深く後悔し、出て行く亥之松をおしとどめようとしますが、亥之松は弟とともに上総屋をあとにします。 

誤った成敗、サディスティックな暴力、といった理不尽さに満ちていますが、暗さが奈落に落ちる前にとどめるとういう演出で、演者のみなさんもそこを「理性的」に演じておられました。春之丞さんの演技が秀逸なのは以前に観たお芝居(2回あります)で確認済みでした。でも真之輔さんの成長振りにはほんとうに驚きました。片腕を切り落とされるという理不尽な成敗を受けながら、なおかつ親分に対して恩を感じている純朴な人柄、かつ哀れみを許さない毅然とした態度、それらを若干21歳の真之輔さんが堂々と演じておられました。


「理不尽さ」というのは大衆演劇ではなかなか受け入れられない哲学だと思います。それをあえて演出するのは、やっぱり演技にそしてその説得力に自信があるからでしょう。以前に観た中では金沢つよしさんのところでのお芝居、先日は小泉たつみさんのお芝居にそういうものがありました。そういう場面に出くわすと、観客がぎょっとして一瞬固まり、観客席がシーンとするのが分かります。


去年の3月、大衆演劇を観始めた頃に朝日劇場で出会ったのが花吹雪さんでした。日曜日だったのですが、その日のゲストの4人の演歌歌手のカラオケのお弟子さんたちでいっぱいで、そうとは知らずに1階の券売機でチケットを買ってしまいました。困っていると黒ずくめのちょっとコワイおじさんが、お客さんの交通整理をしていた舞台衣装のままの若い役者さんたちに命令して、席を確保して下さいました!その上、キャンセルが出たからと、1部終了後に前の席に移動させて下さったのです。劇団の優しさに感激して、即ファンクラブに入りました。大分後で分かったのですが、そのコワイ方は大夫元、寿美英二さんのお父様でした。道理で男の子たちが命令に従ったはずです。


舞踊ショウも素晴らしかった!新しい趣向を凝らしたものでした。初めて見る演出で、セットや照明もさることながら、踊り方も、その組み方もすべて斬新でした。前は同じにしか見えなかった若い男の子たち(気安くすみません)、愛之介さん、恵介さん、松之介さん、梁太郎さん、すべてそれぞれの個性を確立しておられました。そして格段に表現力をつけておられました。


でも一番驚いたのは真之輔さんの変身振りでした。上手くなられたのはもちろんなのですが、余裕のようなものを感じました。「これでどうだ」なんて、客席を見渡して挑戦されているような感じが一度ならずしました。弟の夢之介さんの分までがんばらなくてはと思っておられるのでしょうか。


春之丞さんにもそういう面が見られました。決していやみな挑戦ではなく、あるしゅのコケットリーで味付けされたものです。昨日は幸い前から2列目の席を確保できましたので、近くで拝見できました。ほんとうにおきれいな(としかいいようがありません)方でした。女形も立ちも。あとで写真を貼り付けますが、袴踊りの流麗さは九州系の劇団の凛々しさと対照的でした。上方風なのでしょうか。素晴らしかったです。カメラを落っことしそうになったほどです。


口上は寿美英二座長でした。彼も、そして京之介座長も近々第一線は退かれるとのことです。寿美座長退任公演が22日にあるのですが、その折には他の劇団のように「座長大会」はやらないとおっしゃっておられました。一つの見識ですね。そういえば花吹雪さんはそういう座大への参加があまりありません。筋を通されるところ、立派です。また、飽きられないよう、お芝居、舞踊ショーにも新しい要素、演出を取り入れているということでしたが、それは観れは一目瞭然でした。若手で下手な人がいなくて、実力があるからここまでの冒険ができるのでしょう。さわやかな潔さに打たれました。そして秘めたプライドにも。