okamehachimoku review

大衆演劇のお芝居ってどんなの?(独断・私見の)大衆演劇観劇ガイド

『上州土産百両首』都若丸劇団@新開地劇場 2011年4月20日

丁度2年前の4月に都劇団を新開地で観ました。大衆演劇を見始めてまだ1ヶ月程度の頃で、こちらも大衆演劇そのものに慣れていなかったこともあって、その場ではそんなにはインパクトを感じませんでした。芝居のタイトルを失念しています。でもお芝居がとても上手いとは思いました。上手いというより、洗練されている、ソフィスティケートされていると感じました。松竹新喜劇を連想した記憶があります。キャプテンがひかるさんの顔に焼きごてを当てる悪い番頭役で、若丸さんはひかるさんのお兄さん役のお芝居でした。このお芝居、ある劇団でも同じものを観ましたが、まったく違った印象を受けました。その劇団では子供が焼きごてを当てられるところに焦点が当てられていました。「あっ、これは都若丸劇団でみたものだ」と劇がかなり進行してから気づいたものです。それくらい違ったものになっていました。しかも、後日フラッシュバックのように目の前に浮かぶのは「子供いじめのお涙頂戴」の芝居の方ではなく、都劇団の若丸さんの演出になる芝居の方でした。これからも、現代劇の要素を取り込んだ若丸さんの演出の方が、舞台としては格段に優れたものであることが分かります。そう思いつつ、なぜか再びみる機会を逸していました。

今日のお芝居はあの有名な『上州土産百両首』でした。これは以前に鹿島順一劇団でみたことがありますが、筋、演出ともにかなり変えられていました。 

「若丸バージョン」の筋は以下です。

 場所は浪速の地。すりに間違えられて困っていた牙次郎。丁度そこを通りかかった江戸からきた目明かしの勘次が助けられる。勘次は浪速で目明かしをしている娘婿を訪ねてきたのだ。思いやりのある優しい勘次。日頃からみんなに「ぐず、どじ」となじられている牙次郎は勘次の優しさに打たれて、自身の生い立ちと今の境涯を語って聞かせる。この「語り」の場面は若丸さんの手になるオリジナル版の再構成です。牙次郎の「語り」を全体の中心に据え、それを軸にしてあとの芝居が回るようにするなんて、ニクイ構成です。しかも、若丸さんの「語り」がヴィジュアライズする場面は劇中劇の形をとっているのです。なんと斬新な!そして、若丸さんの上方弁の語り口、松竹新喜劇ばりです。

 

牙次郎は幼なじみの正太郎と再会するが、二人ともすりを生業としていたことが分かる。二人はすり稼業から足を洗い堅気になろうと誓い合う。5年後の再会を約束した二人は、牙次郎の所持金の2文を二つに割って1文づつにし、それを約束の証として再会まで身につけておくことを誓い合う。

 

それから数年経った。場面変わって、上州の旅籠で板前をしている正太郎。その板場へやくざの旅人がやてきて、金を出さないなら正太郎の前歴を旅籠の主人にばらすとゆすりをかける。揉み合ううち、正太郎は手に取った出刃でそのやくざを刺し殺す。そのとき、やくざの返り討ちにあい、顔に刀傷をつけられてしまう。知らせをうけてやってきた役人二人をも手にかけてしまう。

 

勘次の娘と娘婿の家。目明かしの娘婿が上州から大阪の土地にやってきたの極悪人の人相書きを手下にみせている。そこへ牙次郎がやってくる。彼は勘次の世話で、彼の娘婿の一家の下働きをしていたのだ。娘婿もその手下も牙次郎を無視し、手配書にある人相書きもみせない。手下たちが手配書に描かれた男を追って出払ったところに、勘次が帰ってくる。勘次は手人相書きを牙次郎にみせ、手配されているのは牙次郎の幼なじみの正太郎だという。「信じない」と泣き叫ぶ牙次郎。

 

丁度約束の5年がやってきていた。二人が再会を誓い合った天神の杜にやってきた牙次郎。彼が正太郎の名を呼ぶと、笠を目深にかぶった正太郎が出てくる。二人は互いの1文銭をみせ合う。牙次郎は自分が今では十手持ちになったと、十手を正太郎にみせる。正太郎は笠をとり顔の傷をみせて、自分こそは手配書にある男だといい、牙次郎に自分をお縄にして賞金の「上州土産の百両」を受け取るようにという。「できない」という牙次郎。いたたまれなくなった牙次郎はその場から逃げ出してしまう。ここの心理合戦の描写、優れて近代的でした。

 

役人がやってきて、正太郎はついにお縄になる。しかしそこへ勘次が牙次郎を伴って登場。勘次は役人に正太郎の縄を解くようにいう。番屋までの道のりを、牙次郎と正太郎は「幼なじみ」として涙を流しつつも、どこか楽しげに語り合いながら歩いて行く。

若丸さんのオリジナル芝居の再構成が功を奏して、「えっ、何これ?」といった台詞、関係設定、場面設定は皆無でした。非常に新しいと同時に、もとの「古い」脚本のよいところもきちんとリーズニングの重要な部分に組み込んで、とても見応えがありました。そして、あの広い新開地劇場が満席だったことにも感心しました。若丸さんのものすごい人気がよく分かりました。

私がもうひとつ感心したのは観客です。補助席が出るくらいの大入りで、(それにもかかわらずというべきか、それともだからこそというべきか)フツウの(大衆演劇風にいうなら「堅気の」)人たちがほとんどでした。客層は、今までの大衆演劇の劇場公演の中で(私が知る限りにおいて)いちばんフツウでした。アメリカなら確実に「世界で一番古い職業」ととられるようなスキャンティな出立ちの若い女性もいなければ、呑み屋関係者とすぐわかる女性もいませんでした。年配者も若い人もごくフツウの人たちでした。これは大衆演劇ではきわめて珍しいことです。とても「清潔な」感じがしました。観客は劇団の「質」をもっともよく示す指標です。若丸さんの清潔なお人柄、生きざまが偲ばれました。 

都劇団には下手な人がいません。このことからも、都劇団が観客に対していかに真摯かということが分かります。送り出しもとても丁寧、心温まるものでした。

都劇団、もっと観たいと思いました。次に関西に乗るのは8月の花園会館ですが、その時はアメリカに行っていて無理かも。でも11月に明生座ですので、その時にはできるだけ観たいと思います。

今の大衆演劇のあり方に対して若丸さんがアンチテーゼを提出されていることをごく最近知りました。恋川純弥さんが引退前に若丸さんを呼ばれた理由もそれで腑に落ちました。旧態依然とした関係から抜け出ようとすると村八分にされるというのが、大衆演劇界なのでしょうか。そうだとすると憂慮すべき業態ですね。こんなに大衆に支持されている劇団の公演先が限定されているとしたら、それは大衆演劇が自分で自分の首を締めることになると思います。今、そういう興行のあり方そのものが問われているのではないでしょうか。現状を未来へと切り開くためにも、若丸さんには何が何でも頑張っていただきたいと切に思います。

昨今の厳しい経済状況の中で、生き残るだけではなく、大衆演劇を牽引して行くことのできる劇団は客に対してのサービス精神を忘れず、常に新しい工夫をして行く劇団のみでしょう。