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大衆演劇のお芝居ってどんなの?(独断・私見の)大衆演劇観劇ガイド

『魔界転生』LINK横浜公演@横浜にぎわい座 9月22日昼の部

脚本、演出都若丸座長、「LINK」の四人のメンバーがそろっての芝居。あと、(おそらく)葵好太郎さんの劇団、「劇団舞姫」の座員さんたち、そして都若丸劇団の「常連」の東映の山田さん、松永さんといった俳優さんたちが参加していた。とはいえ、登場人物がほぼ四人のみというプロットはとても立てにくかったに違いない。こういう制約は先日のLINK京橋劇場での公演の際の芝居、『必殺仕事人』にもいえることだった。その点、今年の「都若丸誕生日公演」のお芝居(『BLADE』)の方が、ずっとやりやすかっただろう。最も大事な役は若丸座長一人にしておけばよかったから。それに若丸劇団の座員さん、そして東映の俳優さんたちで脇を固めることができたから。時間的にも50分という枠に収めなくてはならず、それも大きな制約だったのも『仕事人』のときと同じである。以下が配役。

柳生十兵衛光厳  恋川純弥  

天草四郎時貞   葵好太郎  

宮本武蔵     大川良太郎 

柳生但馬守宗矩  都若丸  

細川ガラシャを演じた女優さん、多分劇団舞姫の方だと思うが、名前が分からない。刀工の村正を演じた方は東映の方?

もっとも重視したと思われるのが、この配役。それぞれのニンに合った役柄に(おそらく)若丸さんが割り当てたのだろう。四人のLINKメンバーのファンを満足させるため、それぞれに見せ場を作らなくてはならないわけで、いわば四人が主役。そんな芝居、そうあるわけがない。『魔界転生』はその意味ではうってつけ(?)かも。それと、京橋劇場のLINK公演でも感じたが、若丸さんがどちらかというと引いて、他のメンバーに華を持たせようとしていた。

映画の『魔界転生』を観てみたが、骨子はほぼ同じ。でも上の制約上、簡略化と省略が施されていた。最も重要な見せ場を十兵衛と武蔵、十兵衛とその父宗矩との間の殺陣の場面に集約していた。天草四郎との剣の勝負はあったけど、マイナーな扱いだったような。

時の権力者、将軍とそれを支える幕府という巨大機構の理不尽さへの怒り、恨み、怨念が映画の中では重点的に描かれていたが、そこのところはサラリとしていた。それが少し不満。でもそういう「ポリティカル」なテーマは、華やかさを前面に出して各メンバーそれぞれのファンを満足させなくてはならないこういう公演には、重すぎて不向きなのかも。

また映画では核になっていた「バイオレンスとエロティシズム、そしてグロテスク」の融合がほぼ省略されていた。まぁ、大衆演劇の芝居ではその手の過激さ、過剰さは相応しくないのかもしれない。若丸さんが自身で仕切れるご自分の劇団でのは可能だろうけど。事実『BLADE』 での若丸/純弥の絡みにはそれがあったから。

天草四郎の乱」、「細川ガラシャの死」、「家綱の側室お玉への執着」、そして「明暦の大火による江戸城及び江戸の町焼失」といった歴史上出来事に宮本武蔵というフィクショナルな人物とその決闘、あるいは柳生十兵衛の剣豪伝説といったストーリーを絡めた伝奇の形にしているのが、もとの山田風太郎の原作のようである。面白いワクワクする着想だ。でも、映画ではそれらが時間制約があったのだろう、余り上手く連携していなかった。だからそれをさらに50分以内に縮めるなんて、およそ無理だろう。そこを涙を呑んで、「それぞれの役者に華を持たせる場面」で構成する、ある種のタブロー劇のようにしなくてはならなかったのに違いない。たしかにこういうメンバーみんなが主役という芝居もアリかもしれない。贔屓の役者の華やかな「活躍」をファンは観にきているのだから。かくいう私もそうだから。

内容自体、この前日に歌舞伎座でみた新作歌舞伎、『陰陽師』との共通性を強く感じた。「勇者同士の果たし合い、権力者への恨み、復讐」というテーマを軸にしている点できわめて似ていた。こういう新作への挑戦、そして照明を含む舞台装置の新たな試み、そういう風が伝統芸能にも吹いてきているのかもしれない。