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大衆演劇のお芝居ってどんなの?(独断・私見の)大衆演劇観劇ガイド

『夜明け笠』都若丸劇団@朝日劇場6月1日

5年ぶりの朝日劇場だそう。私はまだ5年前には大衆演劇を見ていなかったので、朝日に乗った都若丸劇団を知らない。けっこう若丸さんのお芝居を見てきたけれど、このお芝居は初めて。全体の枠組みはヤクザ間の「抗争」を描く昔ながらのお芝居の体裁はしている。そこに「偶然行き会わせた娘を親類縁者のところへ連れて行く」プロットが組み合わされる。とはいうものの、内容は現代的。以下に大まかな筋を。

親分を始め仲間が死に、生きる目的を失った岩太郎(若丸)。世をはかなみ自殺しようとしていた。このヤクザ男が、「人の役にたつ」(この場合は娘をその母の許に連れて行くという)ことで、また「生きる」意欲をもつことができるというのが、このお芝居の展開。しかもその娘の父とは浅からぬ「縁」があったという設定は、『関の弥太っぺ』もどきで、全体としては『関の弥太っぺ』と『瞼の母』のモチーフをコラージュさせた感じ。でも長谷川伸よりずっと軽く、その分モダン。長谷川伸の作品には作者自身の虚無的とさえいえるような暗さがつきまとう。でもこのお芝居にはそういう暗さはない。それはタイトル通り。そもそも最初の場からコミカル。死のうとしていたわりには、本気度は低かったような。

はるばる訪ねてきたわが娘のおりん(ゆきか)を、今は商家の後妻におさまり裕福な暮らしをしている母、おしん(ゆかり)が拒絶するという展開の仕方は『瞼の母』と同じだけれど、拒絶された娘の反応はさほど深刻ではない。これがいわゆる悲劇仕立ての「母恋もの」とは一線を画しているところ。もっとも『瞼の母』と違い、拒絶されるのは主人公の岩太郎ではなく、彼が連れて来た娘の方なので、「深刻度」は当然薄くなる。さらに、『関の弥太っぺ』の中で弥太っぺが送り届ける娘にいう有名なせりふ、「…この娑婆には辛い事、悲しい事がたくさんある。だが忘れるこった。忘れて日が暮れりゃあ明日になる。」(空を見上げて)ああ、明日も天気か」はこの作品のタイトルと被る。娘にはもう一つ「救い」がある。慣れない江戸まで彼女を追いかけて出て来てくれた祖父母(城太郎・弘子)がいる。帰るところがある。

全体のヤクザ間の抗争も普通の大衆演劇の芝居よりも「軽く」描かれている。「救い」がある。それはまぬけな三下(剛)を配したところ。相手の強さをまったく理解しないまま、自己の弱さを理解しないまま、やみくもに挑戦するかなりおバカな男なんていうの、剛さんのニンではなさそうだけど、それでも真に迫って演じきった。この三下、岩太郎の所属していた箱屋一家と対立していた組の者だったのだが、こちらの親分(あきら)も間が抜けているという点では同じ。コミカルな要素があちらこちらに散りばめてあった。これも若丸さんらしい。「Well-made play」だった。