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大衆演劇のお芝居ってどんなの?(独断・私見の)大衆演劇観劇ガイド

『波浮の港』都若丸劇団@花園会館1月20日(火)夜の部

5日前のお芝居なので、ちょっとあやふやなところがあるかもしれない。ざっくりとしたあらすじは以下。

漁師の友吉(若丸)は病気の父(芦屋小雁)、それに妹のさよ(ひかる)と波浮港に住んでいた。妹は漁師の新吉(剛)と将来を言い交わしているが、彼の博打好きが治まらず、頭を痛めている。なにかと一家のことを気にかけている波浮の役人(城太郎)も、なんとか止めさせようとしている

 

博打の借金に追われて、新吉はとうとう網元の網を売ってしまう。網元の息子(星矢)と博打の賭場の男たちが押しかけて来て、返済を迫る。彼が返せないと分かっているので、許嫁のさよを女郎に売れと迫る。そこへ友吉が。さよと新吉をかばって男たちとやり合ううち、はずみで男を刺してしまう。あの役人がやってくる。新吉は自分がやったと言うが、友吉は役人の縄を受ける。そして新吉に二度と博打、酒をやらないようにと諭す。「博打で蔵を建てたやつはいない」と。

 

十年経過。さよは新吉と所帯を持っている。父は亡くなった。子供ができても、新吉の博打と酒は治まっていない。今日も近所の女たちが彼の傍若無人ぶりを愚痴っていった。新吉が帰って来て、さよに酒代を出せと迫る。家にはもう売るものが何もない。さよが賃仕事でたのまれていた着物を持ち出してしまう。嘆くさよ。

 

そこへ十年ぶりに友吉が帰って来る。情の篤い例の役人のとりなしと代官が替わったおかげで、死罪になるところを遠島ですんだのだ。このときの若丸さんの演技、外見、余すことなく彼の心情を表していて、完璧だった。役人から新吉が酒も博打も止めたと聞いて、安堵している。が、一歩家に入って、実際はまったく違うことを知る。

 

 兄の手前、なんとか言い繕うとするさよ。でも友吉には何もかもお見通しだった。そこへ新吉が帰ってくる。友吉の顔を見てひるむが、次の瞬間には開き直っている。人格まですっかり変わっていた。友吉に向かって、犯罪者の義兄を持って、自分がいかに片身の狭い思いをしてきたか、その所為で酒、博打に溺れざるを得なかったという。友吉に「ここには、おまえの居場所がない」とまで言う。「そうか、居場所がないとは知ってた」と家を出る友吉。「お兄ちゃんはあんたを庇って犯罪者になった。もとはあんたが悪い」と怒るさよ。そこへ新吉の借金の取り立てに、男たちが押しかけて来る。見るに見かねて、友吉は男たちを斬ってしまう。ここのところ、「確信犯的な感じ」を出している。それが秀逸。

 

役人は泣く泣く新吉をお縄にする。今度は死罪は免れないだろう。さよの嘆き。友吉は再度、新吉を諭す。犯罪者としてではなく、いかにも毅然として「これで完結」という風情で、友吉は引かれて行く。

若丸劇団には珍しい悲劇。それも家庭内悲劇。メロドラマが苦手な私は、どうしてもフロイト的解釈をしてしまう。若丸さんがやっぱりすごいと思うのは、これをベタベタ・メロドラマにしていないところ。この踏みとどまりは、さきほどの確信犯的態度に出ている。自分がいては、さよと新吉がうまく行かないと「分かって」、身を引いたということを暗示していたから。緊密な愛(近親相愛的な)に結ばれた兄・妹と妹の夫という三角関係を解決する(終焉させる)には、兄か夫が弾き出さざるを得ない。当然、どちらかの死がその条件になる。

この家庭悲劇、若丸さんの演技が秀逸だったのはもちろんだけど、剛さんのダメ男ぶりも迫真的だった。フロイト的解釈がそのまま通るもの。三角関係の間に入るひかるさんの演技もそれを思わせるもの。読み込み過ぎなのを承知で、そういう解釈をしたくなるほど、よく出来ていた。 お涙頂戴で終わっていないところがさすがだった。お客さんは泣いていましたけれどね。